「もちろんです。ただ、絢乃さんがおっしゃるには、社内では恋愛関係にあることを秘密にしておいた方がいいのではないか……と」「…………あら、そうなの? まぁいいんじゃない? 絢乃がそうしたいって言うんなら。親としても、子供の恋愛に干渉する権利なんてないし」 母はクールにそう言って、グラスに入った白ワインを呷(あお)った。でも、母らしいなとわたしは思ったものだ。決して過干渉ではなく、それでいて放任主義というわけでもなく、ほどほどの距離間でわたしの考えは尊重してくれる。それがわたしの母・篠沢加奈子という人なのだ。 その日、帰ろうとしていた貢にファーストキスの上書きを頼んでみたところ、彼は快く受け入れてくれた。 前日の不意討ちキスは事故のようなものだったから、あれはもう忘れることにして、わたしの初めてのキスはこの夜だったことにしようと思った。 里歩にはその夜、LINEで報告したけれど、『おめでとう』の後に『初恋の人が初めての彼氏なんて、何て羨ましい!!』と返信が来た。じゃあ里歩の彼氏は初恋の相手じゃないのかと訊きたかったけれど、彼女のプライバシーに関わることだと思ったのでやめておいた。いくら親友同士といっても、踏み込んでいい問題とそうじゃない問題の線引きは大事だから。 貢は貢で、お兄さまに報告したらしい。自分から伝えたのか、お兄さまにせっつかれて暴露したのか、それはわたしにも教えてくれなかったけれど。とにかく、翌日悠さんにLINEで『弟さんとお付き合いすることになりました』と送信したところ、『アイツに直接聞いたから知ってるよ。おめでとう』と返事が来たのだ。「――そういえば、そろそろ年度末ですよね。山崎専務にお願いしていた件、どうなっているんでしょう?」 わたしにコーヒーを出しながら、彼が心配そうに首を傾げて言った。総務課でのハラスメントについて調べておいてほしい、とお願いしていた件のことだ。「そうだね……。山崎さんは仕事熱心な人だから、ちゃんと調査はしてくれてると思うけど。そろそろ報告が来てもおかしくない頃だよね」 コーヒーをすすりながら、わたしはデスクの上に置かれた固定電話を気にした。連絡が来るとしたら内線電話か、もしくはわたしのスマホに直接かかってくるのか……。 と思っていたら、わたしのデスクではなく秘書席の電話が鳴った。着信音のパターンからして内
「――会長、急に押しかけてしまって申し訳ございません」 山崎さんは応接スペースのソファーに腰を下ろすなり、わたしに深々と頭を下げた。「専務、お茶をお持ち致しました。どうぞ。――あ、コーヒーの方がよかったですか?」「いやいや。ありがとう、桐島君。いただくよ」 貢は専務が湯呑みを引き寄せたのを確かめてから、デスクに戻ろうとしたけれど。「桐島さん、ここにいて。貴方にも一緒に聞いてほしい話だから」 わたしはそんな彼を引き留めた。この話は彼にも関係のあること、いやむしろ彼こそがいちばんの当事者だったのだから。 彼がわたしの隣に腰を下ろすと、山崎さんが口を開いた。「――会長、報告が遅くなってしまい申し訳ございません。先日会長からご依頼のありました、総務課のハラスメントに関する調査についてですが」「いえ。お忙しい中無理なお願いをしてしまったのはこちらですから、どうぞお気になさらず。――それで、どうでした?」「私どもの調査の結果、総務課のハラスメント問題は現在も続いていることが判明致しました。それも、課に在籍している社員の実に九割が被害に遭っている、と」「そんなに被害者が……。でも、どうやってそこまで調べたんですか?」 山崎さんがローテーブルの上に置いた資料を手に取ってパラパラめくりながら、わたしは愕然(がくぜん)とした気持ちで訊ねた。「何とアナログな方法だろうかと思われるでしょうが、総務課の社員一人一人に聞き取りを行いました。わたしは昔人間ですので、地道にコツコツしかできませんもので」「それは大変でしたね。ご苦労さまでした。ありがとうございます」「それで、山崎専務。僕からも質問なんですが……、そのハラスメントを行っていたのはもしかして、島谷(しまたに)課長ではありませんか?」 貢の口から、初めて具体的な人物名が飛び出した。もしかして、彼を苦しめていたのもその人だったの? そう思いながら山崎さんの顔を見れば、彼の眉がピクリと動いた。「当たりだよ、桐島君。君の口からその名前が出てくれてよかった。――島谷照夫(てるお)課長はいわゆる〝ワンマン管理職〟でしてね、もう二年ほど前から部下にパワハラやモラハラ、女性社員にはセクハラ行為も行っていたようです。その被害内容は、今お持ちの資料にまとめてありますが」「これは……、ひどいですね。体を壊したり、メン
「……あれ? ちょっと待って。山崎さん、さっき問題が起きたのは二年くらい前から、っておっしゃってましたよね? 桐島さんは確か、入社して三年目だったっけ」「はい、もうすぐ四年目に入りますけど。島谷課長は僕が入社二年目の年から課長になったんで、パワハラに遭い始めたのもその頃からだったんです」「……なるほど、分かった。ありがとう」 貢の説明で納得がいった。島谷さんという人は、管理職に昇進したことで「自分が権力を持った」と勘違いして部下に偉そうな振舞いをするようになったということか。「――あの、私からの報告は以上になりますが。これで、この問題を公表する材料は揃いましたでしょうか?」 おずおずと、山崎さんがボスであるわたしの顔色を窺うようにして訊ねた。「う~ん……。わたしとしては、退職されたり休職している人たちからも話を聞きたいなぁと思ってるんですけど。それはこちらで引き受けますから大丈夫ですよ。山崎さん、この資料頂いてもいいですか?」「ええ、もちろんです。それは会長に差し上げますので、お好きなようにご活用下さい」「ありがとうございます。今回はわたしの無理なお願いを聞き入れて下さって、本当にありがとうございました。じゃあわたしも、さっそく明日から動いてみます。聞き取り調査が終わったら会議を開いて、島谷さんの処分などを相談しましょう」「かしこまりました。後のことは、会長に一任致します。では、私はこれで」 貢に「君が淹れてくれたお茶、美味しかったよ。ありがとう」とお礼を言って、山崎さんは会長室を出て行かれた。「――ここからは、わたしの仕事だね」 わたしはマグカップと資料を持ってデスクに戻り、改めて資料の内容を確認しながら言った。「明日からここに載ってる人たちに聞き取りして、証言が集まったら重役会議。その後は……最悪、本部の監査室に動いてもらうことになるかなぁ」 ハラスメント問題はグループ内のコンプライアンスにも関わってくる。本部の監査室はその調査を行う専門部署なのだ。「そして島谷課長の処分を決めて、記者会見、と。――ですが明日からというのは? 会長、学校を休まれるおつもりですか? ……明日は土曜日なので、来週からになりますか」「違う違う! 明日は卒業式だから、午前中に終わるの。わたし二年生だから、在校生代表で出席するんだ」「ああ、なるほど。そう
「で、来週からは新入生のための説明会とかがあるから、終業式までは短縮授業に入るの。というわけで、わたしは明日からまた早めに出社できます。以上」「分かりました、了解です。――ですが、会長はどうしてそこまで……?」 彼は首を傾げた。わたしがどうしてそこまで、社員のみなさんのために必死になれるのか、不思議で仕方がないらしい。 でも、それは父だってそうだったはず。わたしも貢たち社員のみなさんのことを、〝家族〟だと思っているから。それに、この件はわたしが言い出したことだったので、全部人任せにしたくなかったというのもあった。 でも……、いちばんの理由は。「貴方と、貴方の同僚だった人たちを早く助けてあげたいから。つまり、大好きな貴方のためだよ」「会長……」「まぁ、愛されてるって分かったら、その愛に報(むく)いなきゃね」 ハッとした彼に、わたしはとどめのウィンクをした。それを見た彼は、何だか嬉しそうにニヤニヤと笑った。「……なに?」「…………いえ。先ほどの会長が、ものすごく可愛いなぁと思って」「え?」「いえいえ。会長はどんな表情をされていても可愛くて魅力的なんですけど。というか、その表情豊かなところが会長のいちばんの魅力だと僕は思ってます」「……あ、そう。ありがと」 わたしは嬉しいやら照れくさいやらで、俯いてボソリと呟いた。何だか調子が狂う。 彼はわたしと交際を始める前と後で、わたしへの態度というか接し方が分かりやすく変わった。特に、二人きりでいる時の愛情表現がかなり豊かというか。わたしが「要らない」と言ったホワイトデーのお返しがその最(さい)たるものだろう。 でも、それはあくまで二人きりでいる時だけのことで、会社ではあくまで秘書として、わたしの支えになってくれていた。「――とりあえず、ここに載ってる人たち全員の連絡先、わたしのスマホに登録しとこう。アポ電なしで突撃訪問したって、会えないんじゃ意味ないからね」 わたしは制服のポケットからマナーモードにしていたスマホを取り出し、着信や受信メールなどを確認するついでに連絡先の登録を始めた。個人情報の扱いに厳しいこのご時世に、わざわざ個人の連絡先まで名簿に載せてくれた山崎さん(もしくは秘書の上村さんかな?)は本当に仕事熱心だなぁと思った。
――翌日から、わたしと貢は土・日返上で退職した人や休職中の人たちへの家庭訪問を敢行した。「桐島さん、ICレコーダーって持ってる? 被害に遭ってた人たちの証言、録音しておきたいんだけど」 もしも彼が持っていなければ、家電量販店などで新しく購入しなくてはならないと思っていたけれど(もちろん、わたしの自腹で)。「はい、持っていますよ。小川先輩から『いつ必要な時が来ても大丈夫なように、常備しておきなさい』と言われて、秘書室の研修が始まってすぐに自腹で購入してあったんです」「へぇ……、そうなんだ。じゃあ、その分の代金も必要経費としてわたしから清算するね」 ――そんな会話をしながら、都内の二十三区内や郊外に散らばる被害者のお宅を訪問して回った。わたしの服装はもちろん、いつもどおりの制服姿だ。「こういう時くらい、スーツをお召しになってもよろしいんじゃないですか?」 彼は不思議そうにそんなことを言っていた。TPOをわきまえた方がいいという意味で言ったんだと思うけれど、実は「絢乃さんのスーツ姿も見てみたいな」という彼自身の願望も含まれているんじゃないかとわたしは勝手に想像していた。「ママにもおんなじこと言われたなぁ。でもね、これはわたしのポリシーの問題なの。〝制服姿の会長〟っていうイメージを世間的にもっと定着させたいから。そのために就任会見もこの格好でやったわけだし」「…………はぁ。こういうところが、加奈子さんもおっしゃっていたとおり頑固……いえ、何でもありません」 頑固、と言われてわたしは思わず助手席から運転席の彼を睨んでしまったけれど、彼が怯(ひる)んだところでちょっと反省した。「ううん、ママと桐島さんの言うとおりだわ。やっぱり頑固なのかなぁ、わたし」 尊敬していた父と同じ血が自分にも流れているんだ、と実感できるのは喜ばしいことだけど、こんな変なところは父に似なくてもよかったよなぁと、その一点のみはあまり喜べない自分がいた。「まぁまぁ、会長。そんなに落ち込まないで下さい。自分のダメなところをすぐに省みることができるのはいいことですよ。それだけ絢乃さんは素直な人だということです。僕はあなたのそういうところも好きなんですよ」「……うん。そっか、そうだよね。ありがと」 何だか途中から、呼び方が「絢乃さん」に変わったと思ったら、後半は秘書としてではなく彼
* * * * ――事前に訪問のアポをとっていたためか、聞き取り調査は割とスムーズに進んだ。同僚だった貢を連れて行ったから、みなさんも話しやすかったのかもしれない(というか、彼がクルマを出してくれないと、そんなにあちこちには移動できないのだけれど)。 やっぱり精神的に参っている人たちがほとんどで、まだ次の就職先が見つかっていない、もしくは非正規雇用でしか働けなくなったという人も多かった。そういう人たちに「もしこの問題が解決したら、ウチの会社に戻って来ませんか?」と声をかけてみると、「前向きに考えてみる」と色よい返事も多くもらえたので、わたしもこの件の解決に俄然(がぜん)ファイトが湧いた。「――あー、お腹すいた。今日はハンバーガーが食べたい気分~」 とある平日の、会社からの帰り道。わたしはレクサスの助手席で貢に夕食のメニューをリクエストした。もちろん彼におごらせる気はさらさらなくて、どのお店に行きたいか言っただけのことだ。 ちなみに家庭訪問を行っていた期間は帰りだけ会社に寄らず、彼のクルマで直帰していた。その間に溜まった決裁などの仕事は母にお願いして、わたし個人のノートPCに転送してもらって家で処理していた。 とはいえ、オフィス内でデスクワークをしている時より、外回りの仕事(これは仕事にカウントしてよかったんだろうか?)をしている時の方がエネルギーを消耗するので、帰りには二人とも毎日お腹がペコペコになっていた。 夕食のメニューは毎日その日の気分で決めていて、ガッツリ焼肉の日もあれば回転ずしの日もあったり、ファミレスで済ませることもあった。「ハンバーガーですか? ……えーと、このあたりに美味しい店なんてあったかな……」 彼は車載ホルダーにセットしたスマホで、ハンバーガーのお店を検索し始めたけれど。前方には超有名なファストフードチェーンの黄色い「M」の看板が見えていた。「そんなにいいお店じゃなくても、あれでいいよ」「……えっ? あそこでいいんですか?」「うん」 ――そんなわけで、その日はお互いに好きなバーガーとフライドポテトのセットで夕食を済ませて帰宅。そんなこともあった。――そういえば、ワサビとカラシ以外に炭酸飲料も苦手なんだと彼に打ち明けたのも、確かこの日だったな……。
――そうして、年度末も押し迫った三月二十七日にはすべての証言が揃い、わたしは本部の監査室へ連絡を入れた。「――監査部長の寺本(てらもと)さんですか? わたし、会長の篠沢ですが。篠沢商事について、大至急監査に入って頂きたい案件があるんです。――ええ、よろしくお願いします」 受話器を置いたわたしのデスクに、会議用の資料を作成していた貢がやってきた。「会長、島谷課長の処遇を決定する会議は、監査が終わってからということになるんでしょうか?」「うん、そうなるね。……あのね、桐島さん。島谷さんの処分についてなんだけど、わたしにちょっと考えがあって。聞いてくれる?」「はぁ、いいですけど……」 そこで彼に話した考えというのは、島谷さんを解雇にするのではなく依願退職扱いにすることだった。彼にも守るべきご家族がいるだろうし、生活を破綻させるわけにはいかない。誰にでもやり直す権利はあるのだから、再就職するにもそちらの方がいいだろうと。 それに、篠沢グループの規定では、解雇されると退職金が半額しか支払われないことになっているけれど、依願退職なら満額が支払われる。そうすれば、彼に再就職先が見つかるまで島谷家の生活も補償できると思ったのだ。わたしから経理部に出向いて、掛け合おうと思っていた。「確かに、島谷さん自身は会社にも社員のみなさんにも迷惑をかけた。でもご家族には何の罪もないよね。この処分は、世間の容赦ない誹謗中傷から彼のご家族を守るための措置(そち)でもあるの。……分かってもらえるかなぁ」「それは理解出来ますが……、それをどうして僕にお訊ねになるんですか? 秘書だから、という理由だけではないですよね?」 彼はわたしの考えをすべて理解しようとしているんだと、わたしは嬉しくなった。「それは、貴方がもっとも身近にいる、この問題の当事者だから。世間的に、こういう時の処分は解雇が正しいんだろうけど、貴方がもし島谷さんのしたことを赦(ゆる)せるなら、わたしは退職扱いでも問題ないと思ってるの。どちらの処分にするかは桐島さん、貴方にかかってるってこと」「…………会長は、解雇にだけはしたくないとお考えなんですよね?」「うん」「でしたら、僕も島谷課長は依願退職扱いでいいと思います」 彼は悩むことなく即答した。ということは、もう元上司にされた仕打ちを恨んではいないということだ
――会見を行う前日の三月二十九日のうちに、広報課を通して新聞やTV局、ニュースサイトなどのマスコミ各社に通達してもらい、何についての会見なのかは当日まで伏せておいた。そのため、SNSやネット上の掲示板などでは色々な憶測が飛び交っていたらしいと里歩から聞いたけれど(春休み中だったので、聞いたのは電話でだった)、わたしはSNSをやっていなかったので詳しいことは分からなかった。ちなみに、わたしがSNSを始めたのはその半年ほど後のことだ。 ――そして迎えた、記者会見当日の朝。「会長、おはようございます。今日は制服姿じゃないんですね」 助手席に乗り込んだわたしの服装に、貢はすぐに気づいてくれた。「おはよう、桐島さん。――今日は大事な会見の日だからね、マスコミの人たちへの印象が大事だと思って、誠実そうに見えるスーツ姿にしてみたの。春休み中だってこともあってね」 この日のわたしは淡いブルーの襟付きブラウスに、濃紺のタイトなスーツと黒のフラットパンプスでビシッと決めていた。ちゃんとビジネスメイクもして、長い髪は焦げ茶色のヘアゴムで一つにまとめて、気分的には就職活動中の大学生、という感じ。「そうなんですね……。今日の会長は少し大人っぽく見えますよ」「へへっ、ありがと。就任会見の時は制服だったから、どっちでもよかったんだけどね。ちなみにこのスーツは、三学期も成績がよかったごほうびに、ってママが買ってくれたの♪」 母が選んでくれたこのスーツは、量産品と同じように見えて実はけっこう高価だった。のはおいておいて。わたしは緩んでいた表情をピリッと引き締めた。「こういう、企業の評判を左右する会見の時って、会見するトップの服装も批判の対象になるんだって。ヘタな格好をして会見に臨んだら、『世間をなめてるのか!』って言われそうじゃない?」「そうですよね。謝罪会見なのに、真っ赤な服を着ていて『謝る気があるのか』って非難されていた女性議員の方もいらっしゃいましたからねぇ。紺色のスーツを選ばれた会長の判断は賢明だと僕も思います」「あー、そういえばそんな人もいたねぇ」 わたしはいつぞやのニュースを思い出して頷いた。まだ肌寒さが残るので、羽織っていたスプリングコートを脱いで膝にかける。「いっそのこと、春休みの間はずっとスーツ姿で出社されるというのは? 気分も変わってよろしいのではな
「貴方は出会ってから、わたしに色んなことを教えてくれたよね。パパの余命を前向きに捉えることとか、悲しい時には思いっきり泣いていいんだってこと、緊張した時のおまじない、それから」「えっ、そんなにありましたっけ?」 彼はここで驚いたけれど、わたしがいちばん伝えたい大事なことはこの先だ。「うん。……それから、恋をした時の喜びとか苦しさも、わたしは貴方から教えてもらったの。だから、この先もずっと貴方に恋をし続けていくよ」「はい。僕も同じ気持ちです。あなたに一生ついて行きます」「だから、それって花嫁のセリフだってば」 わたしはまた笑った。「――絢乃、桐島くん。式場のスタッフが呼んでるわよ。『そろそろフォトスタジオにお越し下さい』って」 控室のドアをノックする音がして、オシャレなパンツスーツを着こなした母が一人の中年男性を伴って入ってきた。「はい、今行きます! ――絢乃さん、では僕は先に行っていますね。フォトスタジオでお待ちしています」「うん、分かった。また後でね」 控室を後にする彼を振り返ったわたしは、母と一緒に立っている人物に目をみはった。 父に顔はよく似ているけれど、父より少し年上の優しそうな紳士――。「やぁ、絢乃ちゃん。久しぶりだね。結婚おめでとう」「聡一(そういち)伯父さま……」 それは、アメリカから帰国した父方の伯父、井上聡一だった。伯父にも招待状を送っていて、出席の返事はもらっていたけれど、どうして母と一緒に控室を訪ねてきたのかは分からなかった。「今日は、来てくれてありがとう。……でも、どうしてわざわざ控室まで?」「加奈子さんに頼まれたんだ。源一の代わりに、絢乃ちゃんと一緒にバージンロードを歩いてほしい、って。私は父親じゃないが、君の親族であることに変わりはないからね」「…………伯父さま、ありがとう……。パパもきっと喜んでくれてるよ……」 伯父の優しさが心に沁みて、わたしは感激のあまり泣き出してしまった。「あらあら! 絢乃、泣かないで! せっかくキレイにメイクしてもらったのに崩れちゃうわ」「うん、……そうだね。こんな顔で行ったら貢がビックリしちゃうよね」 慌てる母に、わたしは泣き笑いの顔で頷いた。 その後母に呼ばれたヘアメイク担当のスタッフさんにお化粧を直してもらい、わたしはウェディングプランナーの女性に先導され、母
彼はブルーのアスコットタイを結んでいる。これは「サムシング・ブルー」になぞらえたらしいのだけれど……。「貢……、それって新婦側の慣習じゃなかったっけ?」 わたしは婿を迎え入れる側だけれど、とりあえずこの慣習を取り入れてイヤリングと髪飾りをブルーにした。でも、新郎側がこれを取り入れるなんて聞いたことがない。「まぁ、そうなんですけどね。僕も気持ちのうえでは嫁(とつ)ぐようなものなので」「……そっかそっか。まぁいいんじゃない? 今は多様性の時代だしね」 何も古くからのしきたりに囚(とら)われることはないのだ。これがわたしたちの結婚の形、と言ってしまえばそれまでなんだから。「ところで貢、知ってた? ママがこれまで断ってきた、わたしの縁談の数」「いいえ、僕は聞いたことありませんけど。……どれくらいあったんですか?」「聞いて驚くなかれ。なんと二百九十九人だって!」「えっ、そんなにいたんですか!? 逆玉狙いの男性が」 彼はわたしの答えを聞いて、愕然となった。彼の解釈は間違っていない。「ママね、わたしが小さい頃からずっと言ってたの。『絢乃には、本心から好きになった人と幸せを掴んでほしい』って。よかったよー、貢がその中に入らなくて」「そうですね。これが絢乃さんにとって、いちばんの親孝行ですよね」「うん。わたし、貢となら絶対に幸せになれると思う。やっぱり、貴方とわたしとの出会いは運命だったんだよ。貴方に出会えて、ホントによかった」「僕も、絢乃さんに出会えてよかったです。もう二度と恋愛なんてゴメンだと思ってましたけど、そんな僕をあなたが変えて下さったんです。ありがとうございます」 こうして向かい合って、お互いに感謝の気持ちを伝え合えるってステキなことだとわたしは思う。この先もずっと、彼とはこういうステキな夫婦関係を築いていきたい。「絢乃さん、こんな僕ですが、末永くよろしくお願いします」「……何かそれ、もう完全に花嫁さんのセリフだよね」 思いっきり立場が逆転しているなぁと思うと、わたしは笑えてきた。「でも、わたしたちって最初っから一般的なオフィスラブと立場が逆転してるんだよねぇ」「……まぁ、確かにそうですよね」 貢もつられて笑った。今日みたいないいお天気の日には、笑顔での門出が似合う。梅雨の時期なのに今日は朝からよく晴れていて、絶好の結婚式日
――こうして、わたしと貢の関係は恋人同士から婚約関係となった。ちなみに、あの騒動のおかげでわたしたちの関係は世間的に公になったのだけれど、これは喜ぶべきだろうか? 真弥さんはあの日撮影した映像を、自分のアカウントでもXにアップしていて、その投稿は見る間に拡散したらしい。〈彼氏登場! いきなりハイキックとかカッコよすぎww〉〈彼氏、ヒーローすぎてヤバい〉 などなど、称賛のコメントと共に思いっきりバズっていた。 去年のクリスマスイブは彼と二人きりで過ごし、婚約指輪はそこでクリスマスプレゼントとして彼からもらった。小粒のダイヤモンドがはめ込まれたシンプルなプラチナリングで、多分価格もなかなかのものだったはず。彼の男気を感じて嬉しかった。 誕生日にもらったネックレスとともに、この指輪もわたしの一生の宝物になるだろう。 その夜は彼のアパートに泊まり、彼の小さなベッドの上で一緒に朝を迎えた。わたしの後から起きてきた彼と目を合せるのが照れ臭かったことが忘れられない。でも、それが結婚生活のリハーサルみたいに思えて、心躍ったのも確かだ。 三月の卒業式には、母と一緒に貢も出席してくれたので驚いた。母の話によれば、その日は一日会社そのものをお休みにしたんだとか。会長の新たな出発の日だから、社員一丸となってお祝いするように、と。「ママ……、何もそこまでしなくても」と呆れたのを憶えている。 四月最初の日曜日、両家顔合わせの意味も込めて我が家で食事会をした。料理は専属コックさんと母、わたしと史子さんで腕によりをかけて作り、デザートのイチゴのシフォンケーキもわたしが作った。桐島さんご一家のみなさんも「美味しい」と喜んで、テーブルの上にところ狭しと並べられた料理を平らげて下さった。 そこで、わたしと貢は驚くべき事実を知った。なんと、悠さんがお付き合いしていた女性と授かり婚をしたというのだ! 顔合わせの席にはその奥さまもお見えになっていて、お名前は栞(しおり)さんというらしい。年齢は貢の二歳上で、悠さんが店長を務められているお店の常連客だったそう。そこから恋が始まり、お二人は結ばれたというわけだった。……ただ、順番が違うんじゃないだろうかと思うのは考え方が古いのかな……。 そこから彼が我が家で同居することになり、二ヶ月が経ち――。 本日、六月吉日。愛する人と二人で選
「――絢乃さん、僕、覚悟を決めました。あなたのお婿さんになりたいです。僕と結婚して下さい。お父さまの一周忌が済んで、絢乃さんが無事に高校を卒業して、そうしたら。……で、どうでしょうか」「はい。喜んでお受けします!」 彼からの渾身のプロポーズに、わたしは喜び全開で頷いた。エンゲージリングはまだなかったけれど、気持ちのうえではもう、二人の結婚の意思は確固たるものになっていた。 思えば初めてわたしの気持ちを彼に伝えた時、子供っぽい告白になってしまった。でも今なら、彼にとっておきの五文字で想いを伝えられるだろうか。あの時から少し大人になったわたしなら……。「貢、……愛してる」「僕も愛してます、絢乃さん」 わたしたちは熱いハグの後、長いキスを交わした。「――ところで、絢乃さんは高校卒業後の進路、どうされるんですか? 僕、まだ教えて頂いてないんですけど」 帰り道、彼が器用にハンドルを切りながらわたしに訊ねた。……おいおい、今ごろかい。「わたしね、大学には進学せずに経営に専念しようと思ってるの。やっぱり好きなんだよね、会長の仕事とか会社が」「……なるほど」「ママは最初、大学に進んでもいいんじゃないか、って言ってくれたんだけど。最後には折れてくれたの。わたし、これまでよりもっともーっと会社に関わっていきたいから」「加奈子さん、絢乃さんに甘々ですもんね」「うん、まぁね。ちなみに、里歩は大学の教職課程取って、高校の体育教師目指すんだって。唯ちゃんはプロのアニメーターを志して、専門学校に進むらしいよ」 卒業後の進路はバラバラでも、わたしと里歩、唯ちゃんとの友情はこれから先も変わらない。きっと。
「――改めて、貴方には心配をおかけしました」 わたしはいつもの指定席である助手席ではなく、後部座席で彼に深々と頭を下げた。「ホントですよ。あれほど無茶なことはするなと言ったのに。ヘタをすれば、絢乃さん、アイツにケガさせられてたかもしれないんですからね?」 彼はまだご立腹のようだった。でも、それはわたしのことが本当に心配だったからにほかならない。「だーい丈夫だって。そのためにあの頼もしいお二人にも協力してもらったわけだし。いざとなったらボディーガードをしてもらうつもりで――。まあ、結局は貴方に助けられたわけだけど」「イヤです」「…………は?」 彼に唐突に話を遮られ、わたしはポカンとなった。「イヤ」って何が?「あなたが他の人に守られるなんて、僕はイヤなんです。あなたを守るのは僕じゃないとダメなんです。……すみません、ダダっ子みたいなことを言って」「ううん、別にいいよ。貴方の気持ち、すごく嬉しいから」 むしろ、ダダっ子みたいな貴方が可愛くて愛おしくて仕方がないんだよ、とわたしは目を細めた。「でも、今日ほどわたしは貴方に守られてるんだなって思ったことはなかったかも。ホントにありがと」 わたしはいつも、自分が彼を守っているんだと思っていた。でも、時々こうやって自分を顧(かえり)みずに無茶なことをしでかすわたしを助けてくれているのは貢だった。それは秘書としても、彼氏としても。「わたし、いつもこうやって貴方のことを助けてるつもりでも、結局のところは貴方に助けられてるんだね」 父の病気が分かってショックを受けた時、父が亡くなった時、親族から心ない罵声を浴びせられた時。それから会長に就任した時もそうだった。彼はいつもさりげなく、わたしの心の支えとなってくれていたのだ。彼の優しくて温かい言葉に、わたしはどれだけ救われてきたか分からない。「今ごろ気づかれたんですか? 僕の大切さが」「……うん、ごめん。でもありがと」「それにしても、僕を守るなら他に方法くらいあったでしょう? あえて僕と離れて、中傷の目を遠ざけるとか」「それは、わたしがイヤだったの。たとえ貴方を守るためでも、貴方と離れるなんてダメだと思った。だったら、一緒にいながら貴方を守る方法を取った方がいい、って。……まぁ、その分お金はかかったし、ちょっと危ない橋も渡っちゃったけど」 傍から見れば
――作戦は無事成功したものの、わたしは何だかワケが分からなかった。わたしもまたドッキリにかけられたような気持ち、というのか……。「……どうして貢がここに? 打ち合わせでは、あの場で登場するのは内田さんだったはずじゃ」「ああ、内田さんから連絡を頂いたんです。今日、絢乃さんが危ない目に遭うかもしれないから、新宿駅前に来てほしい、って」「相手が激昂してる時に、見ず知らずの男が現れたら事態が余計に悪化するかもしれないと思ってな。ここは格闘技を習得した彼氏に花を持たせてやった方がいいかな、って」「内田さん、そういうことは事前に教えておいてくれないと。わたしをドッキリにかけてどうするんですか!」 そういう問題じゃない気もしたけれど、わたしはとにかく一言抗議しないと気が済まなかった。「悪い悪い。でも、桐島さんが間に合ったんだからよかったじゃん」「そうですよ! 僕が間に合ったからよかったですけど、下手したら絢乃さん、本当に危ないところだったんですからね!?」 彼が怒っているのは、わたしのことを本気で心配してくれていたからだ。だからわたしは叱られているのに嬉しかったし、自分の無謀な行動を猛省した。「……ごめんなさい」「でも、無事でよかった……。本当によかった」 彼は深いため息をつくと、ここが公衆の面前だということもお構いなしにわたしをギュッと抱きしめた。「ちょっ……、貢……?」 彼はわたしを抱きしめたまま震えていた。泣いてはいないようだったけれど、それだけでわたしへの心配がどれくらいのものだったかが伝わってきた。 わたしは彼の背中に手を回し、そっと背中をさすった。父の葬儀の日、泣けなかったわたしに彼がそうしてくれたように。「ごめんね、貢。心配かけちゃって、ホントにごめん。……でも、心配してくれてありがと。もっと他に方法はあったはずなのにね。わたし、これくらいの方法しか思いつかなくて」 路上で抱き合っていると、周りが何だかザワザワと騒がしくなってきた。「……とりあえず、クルマに乗って下さい。話はそれからです」「そう……だね」 これ以上のイチャイチャは人目が気になるので、わたしたちは彼のレクサスへと移動することにした。「じゃあ、あたしたちもこれで撤収しまーす♪ あとはお二人でどうぞ♪」「絢乃さん、オレたちこれで五十万円分の働きはしたよな?」
何が起きたのか分からずパニックになっていたわたしを庇うように立ちはだかり、小坂さんにハイキックを一発お見舞いした。「ハイキック、初めて当たった……」 「…………!? な……っ」 一瞬で吹っ飛ばされた小坂さんは、この状況が吞み込めないらしかった。 わたしも呆然となっている場合じゃなかったと気を取り直し、強気な顔に戻った。「真弥さん、今の撮れた?」「はいは~い♪ もうバッチリ」 わたしが目配せすると、建物の陰からスマホを構えた真弥さんと、その後ろに控えていた内田さんが姿を現した。「アンタの裏アカ、あたしが乗っ取っちゃいました☆ 今ねぇ、この様子の一部始終が全国のアンタのファンに垂れ流されてんの。これでアンタ、俳優としても終わったねぇ。はい、ご愁傷さま」「小坂さん、貴方はこれまでにどれだけの女性を弄んで傷つけてきたんですか。女性だけじゃない。わたしの大切な人まで晒しものにした! 貴方、人の気持ちを何だと思ってるんですか! わたし、貴方のことを絶対に許しませんから!」「あんた、どうせ逆玉狙って絢乃さんとお近づきになりたかっただけでしょ? もうバレバレ。甘いんだよ、その考えが」 せせら笑うようにそう言って、真弥さんが腰を抜かしている小坂さんを見下ろした。「わたしは正式に、貴方を名誉毀(き)損(そん)で訴えます。顧問弁護士にはもう、訴訟を起こす準備を整えてもらってるので。ちなみに貴方、事務所をクビになってて後ろ盾はなくなったんですよね? というわけで、訴える相手は貴方個人です。覚悟しておいて」 わたしは次の一言で、彼に完全にトドメを刺した。「この件で、貴方は完全に社会から抹殺されるでしょうね。ご愁傷さま。女をなめるのもいい加減にして!」 この後パトカーが到着し、小坂さんは警察へ連行されていった。前もって内田さんが通報していたのだ。 こうしてイケメン俳優への反撃作戦は幕を下ろしたのだった。
「わたしの親友が貴方のファンなんです。五月に豊洲で主演映画の舞台挨拶なさってたでしょう? 彼女、部活があったから行けなくて残念~って言ってました」 これも真赤なウソっぱちだ。里歩はその頃とっくに彼のファンを辞めていたので、行きたがるわけがないのだ。「へぇ、そうなんだ? 嬉しいなぁ」「豊洲っていえば、ちょうどあの日、わたしもあのショッピングモールにいたんですよ。彼氏と二人で。偶然ですねー」 わたしは彼が気をよくした手ごたえを得ながら、ちょっと強気にカマをかけてみた。「へ、へぇー……。すごい偶然だねぇ。っていうか君、彼氏いるんだ? もしかして、撮影の時に一緒にいたあの男?」 彼は平然を装っていたけれど、明らかに動揺していた。わたしはこんな言葉使わないけれど、里歩や真弥さんなら「ざまぁ」と言うところだろう。「ええ。八歳年上の二十六歳で、わたしの秘書をしてくれてます。お金持ちの御曹司っていうわけじゃないですけど、すごく優しくて頼りになるステキな人です。実はわたしたち、結婚も考えてて。でも彼は決して逆玉狙いなんかじゃなくて、わたしのことを本気で大事に想ってくれてる人なんですよ。わたしも彼のこと、すごく大切に想ってます」「へぇ…………。じゃあ、なんで君は今日、俺を誘ってくれたの? そんな挑発的なカッコして、コロンの匂いまでさせて。……もしかして、俺を誘惑しようとしてる? 彼氏から俺に乗りかえるつもりとか」 この人、どこまで自分大好きなんだろう? きっと今までも、こうやってどんなことも自分に都合のいいようにしか考えてこなかったんだろう。「まさか」 わたしは鼻で笑い、彼をどん底に突き落とす宣告をした。「貴方が、その大事な彼を貶めるようなことをしたから、反撃しに来たんです。貴方が裏アカまで作って、彼に嫌がらせをしてきたから。わたしが分からないとでも?」「……っ、このアマ……」「ちゃんと調べはついてるんですよ。だからわたし、逆にそのアカウントを利用しようって考えたんです。貴方の本性を、ファンのみなさんにさらけ出すために。こうやって誘い出せば、プレイボーイの貴方のことだから食いついてくれるだろうと思って。でもまさか、こんなにホイホイ誘いに乗ってくるなんて思わなかった!」 ここまで上手く引っかかってくれるなんて思っていなかったので、わたしは笑いが止まらなくな
――わたしと〈U&Hリサーチ〉の二人で決めた作戦は、小坂リョウジさんの裏アカウントにDMを送り、真弥さんがそのアカウントをハッキング。彼をウソの誘い文句でおびき寄せて二人で会っているところを真弥さんに乗っ取った彼の裏アカでライブ配信してもらい、彼が本性を現したところでそのことを彼に暴露するというもの。よくTVのバラエティーでやっているドッキリ企画に近いかもしれない。 万が一のことを考えて、わたしは内田さんと真弥さんと連絡先と名刺を交換した。貢の携帯番号も教え、わたしの身に危険が迫った時には最終手段として彼に知らせてほしい、と内田さんにお願いした。 この作戦については話していないけど、調査については貢にも伝えてあった。調査料金として五十万円を支払ったことには、「そんな大金を払ったんですか!? 絢乃さん、金銭感覚バグってるでしょう絶対!」と呆れられた。わたし自身もそう思うけれど、彼を守るためなら一億円出したっていい。彼の存在は、決してお金には代えられないから。 顧問弁護士である唯ちゃんのお父さまにも、小坂さんを訴える準備をして頂いた。真弥さんにもらった調査内容はその証拠としてお預けした。ただ、正規ではない手段で手に入れた情報なので証拠能力がどうなのかは分からないけれど……。 ――そして、作戦決行の日が来た。 その日は土曜日で、貢には前もって「ちょっと用事があるから」とデートの予定を外してもらった。 内田さんの事務所を訪れてから決行日までの数日間、わたしの様子がおかしかったことは彼も気づいていたかもしれない。もしかしたら彼は、わたしの浮気を疑っていたかもしれないけれど、その心配なら皆無だ。内田さんには真弥さんという可愛い恋人がいるわけだし、わたしには貢しかいないのだ。 SNSでの誹謗中傷は、もうこのネタが飽きられていたのかパッタリ止んだ。その代わり、真弥さんが調べてくれた小坂さんのある情報が、Xで拡散されていった。彼はお付き合いしていた女性と破局するたびに、リベンジポルノを仕掛けていたらしいのだ。――これもまた、三人で練った作戦の一部だった。 普段よりちょっと露出度高めの服装をして、わたしは新宿駅前でターゲットを待ち構えた。少し離れた場所では、自撮りするフリをしてアウトカメラでスマホを構えた真弥さんと内田さんも待機していた。「――CM撮影の時以来かな